陰陽

陰陽 」 は、東洋医学の中にも出てきますが、その真の意味は余り伝わっていません。

碓井流活法では、陰と陽をただ2つに分けるだけではなく
それを分ける基準。 すなわち 「 中心 」 が重要であると考えています。

東洋哲学にはこの中心のことを、「 中庸 」 「 太極 」 などと現していますが
現在の東洋医学はその意味はおろそかに、ただの比較現象になってしまいがちです。

陰陽を分かつのに基準がある事を知れば、陰陽の概念を用いた調整ができるようになります。
それは碓井流活法の技術の中にも活かされていて、患者さんの状態を把握するテスト法などに
応用されています。 ある基準から差を測り、その差をとることで陰陽を成立させる ...

すなわち 「 陰でも陽でもない世界 」。 正常なバランスが取れた状態を作り出すという目的で
施術を行っていく。 逆にいえば患者さんはどこがどう悪いか分かっていないことが多く
だからこそ施術者が陰陽の差を実感させていく事で原因を認識させ、その差がなくなることで
バランスのとれた、良い方向に向かったと感じ、意識することもできるのです。

それゆえに碓井流活法では陰陽は 「 左右同質にして整合性のあるもの 」 と定義しています。


また、陰陽にはもっと深い意味が沢山隠されているのですが、ここで施術者自身に関わる陰陽を
お話しておきたいと思います。 施術者の心理としてどうしてもぬぐえないのが

「 患者さんを治そう 」 という観念です。

碓井流活法では 「 人は人を治せない 」 「 治そうと思うと治らない 」という考え方があります。

いくらすごい施術をしたとしても、実際にその患者さんを治しているのは患者さん自身
自己治癒力 」 だと思いませんか?

施術者ができるのは、あくまでもその自己治癒力を高めたり、引き出す手伝いでしかありません。だからこそ人は人を治せないのです。 これは施術者が成長してある程度治療効果が出せるように
なると、どうしても自分が治したと天狗になってしまうのを戒める言葉かも知れません。

また、治す行為をすると結果として 「 治る 」「 治らない 」 の陰陽が生まれてしまいます。
これは 「 治す 」 ことを目指す限りどこまでいっても付きまといます。
治れば良いですが、治らないことが積み重なると ・・・ 施術者自身をつぶしてしまうのです。

責任感が強ければ強いほど悩みも大きくなるでしょう。 しかし、前述したとおり
人は、人を治すなんてことはできないのです。 だからこそ治そうなどとは思わない
その人が治る為のお手伝い、支えとなることが施術者の役目であると活法では考えています。

支えであることを目指すのであればそこには 「 治る・治らない 」 という陰陽は生まれようが
ないからです。 それが、施術者・患者さん共に良い方向なのだと思います。